経営者から社員
になってくれた仲間
これまでのキャリア
型枠は残らないが、
自分の仕事はずっと残る。
型枠大工の世界に足を踏み入れたのは地元の先輩がきっかけでした。10代のころになんとなく始めた仕事ですが、自分の性に合ってたんでしょうね。
仕事にプライドは持ってるんですが、ガンガン前に出てやるタイプじゃないんです。どちらかといえば「縁の下の力持ち」でいたいと思っていて。
私みたいな人間は型枠大工が向いてるかもしれないですね。
「型枠大工」とはその名の通りコンクリートを流し込むための「型枠」をつくる仕事です。完成したら型枠は外してしまうのですが、枠の精度がコンクリートの出来栄えを大きく左右します。自分の頑張りが目に見えて残ってくれるところにやりがいを感じます。
自慢ってわけじゃないんですが、自分が携わったトンネルを家族とのドライブで通ったりするときに「ここは父ちゃんがつくったところなんだぞ。」とか話したりすることもあるんです。
その瞬間が一番グッとくるというか、こういう仕事をさせてもらってありがたいなという気持ちになりますね。
こういうやりがいを感じるたびに、先輩に昔よく言われていた「俺たちの仕事は地図に載る。努力の成果が目に見えて残るんだ。」という言葉を噛み締めています。
経営者から会社員へ
型枠大工の経験を積んだ後、独立して自分の会社を創業しました。野田建設に入社したのはその会社が5年目に入ったころ。その時期から野田建設は下水道の耐震補強事業を進めていましたが、型枠工事をできる大工がいなかったので誘われたんです。
当時は複雑な心境でしたね。正直嫌でしたよ。私の会社の調子も悪くなかったですし、そしてなにより従業員を雇ってましたから。ただ、その従業員まで面倒を見てくれるとのことだったので入社することを決めたんです。
経営者から会社員になって、毎日の見え方・考え方が変わりましたね。より自分の目の前の現場に没頭できるようになりましたし、後輩の指導に時間を使えるようになりました。経営に関係する雑務が無くなった分、家族との時間も増えたのも嬉しかったですね。
一緒に雇ってもらった社員もすごくかわいがってもらえてますし、「ここまでしてもらえるんだったら、自分で会社やらなくていいなぁ」って思っちゃいます。
今振り返ってみると、あの時の判断は間違ってなかったと自信を持って言えますよ。
現場は生き物
土木の現場って生き物なんですよ。同じ現場は1つとしてありません。
以前やった施工であっても、土の質や周りの環境によってプロセスが全然変わってくるんです。ただ、完成形の図面が渡されると「何が何でもその形にする」というのがプロとしての姿勢。
難しい仕事ですが、大変なだけに達成感は大きいですね。
特に災害復旧の現場は大変ですよ。何ヶ月間もその現場にかかりきりになりますし、危険なことも多いですからね。ただ、その地域の人からかけてもらえる「きれいになったね」というその一言で本当に報われます。
だからこそ、後輩の作業員にどこまで任せるかっていうのがなかなか難しいところなんです。基本的には信頼して任せてあげたいですよ。自分もそうしてもらって成長してきましたし、やっぱり先輩から頼られると嬉しいじゃないですか。指導したり手本を見せたりするのは主に危険な作業のときですね。仕事のスピードとかは真面目に取り組んでたらついてきますから。安全に仕事をこなせるのが最初の第一歩です。
年齢関係なく
活躍できる会社へ
最近では自分がどうしたいかよりも、後輩や会社のために何ができるのかを考えるようになってきました。
私個人としては、普段から社員全員が一致団結できるような空気を作っていけるようにしたいと思っています。
私たちが若い頃の建設業界って、今とは職場の空気が違ってたんですよ。役職を持ってるような先輩に相談しづらいような感じって言うんですかね。 それで自分自身苦労したこともあって、野田建設では仕事で抱えている悩みやプライベートのちょっとしたことでも気軽に相談できるような環境にしようと心がけています。
技術面など、これまでに培ってきたことを若いスタッフに受け継いでもらいたいという気持ちはもちろんあるんですが、若いスタッフから私たちが教えてもらえることもたくさんあると思うんですよ。
体力とか、SNSでの情報収集とか。若い人には到底勝てないことも多いですから。 だから、先輩が後輩を指導するだけじゃなくて、先輩も後輩から学ぶ会社であってほしいと思います。
普段は年齢や立場など別け隔てなく盛り上がって、いざやるってなったらみんなでガチっと固まって共通の目標に向かっていく。そんな会社にできるようにこれからも努力していきます。